( 2015.03.08 )




姿姿


姿

 昨平成26( 2014 )年8月5日、朝日新聞の朝刊は 「慰安婦問題の本質 直視を」 という見出しの記事を掲載した。 なかほどに見開き2ページもの 「慰安婦問題を考える( 上 )」 と題した特集記事を置き、翌日 「( 下 )」 を載せた。 ( 以下 「2014特集記事」 と呼ぶ )

 朝日が慰安婦問題の 「誤報」 を明らかにしたということで、大騒ぎの発端となった記事だが、タイトルからはそんな内容とは窺い知れない。 実際、取り消したのはごく一部の記事であり、最後は 「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」 と結んでいる。

 反省も謝罪もなく、今までの姿勢を継続していく、という決意表明なのである。 それがどのような姿勢なのか、今までの朝日の報道を時系列に概観して、みなさんの判断に供したい。




 朝日の慰安婦報道は、昭和57( 1982 )年に始まった。 9月2日朝刊の社会面で、 「慰安婦強制連行」 の 「動員指揮官」 だったという 「著述家・吉田清治氏」 の証言を大きく取り上げている。 「朝鮮の女性 私も連行」 「暴行加え無理やり」 「元動員指揮官が証言」 という見出しをつけ、次のように報じた。
 朝鮮人男性の抵抗に備えるため完全武装の日本兵10人が同行した。 集落を見つけると、まず兵士が包囲する。 続いて吉田さんの部下9人が一斉に突入する。 若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。 こうして女性たちはつぎつぎにホロのついたトラックに押し込められた。 連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。
 翌1983年7月に、ほぼ同じような内容で、吉田清治の著作 『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』 ( 三一書房 )が出版された。 慰安婦問題に精しい西岡つとむ東京基督教大学教授は 「吉田氏を世に出したのは朝日新聞だ。 彼の証言に権威をつけた。 朝日新聞の責任は大きい」 と指摘する。

 朝日は1997年までの15年間で、少なくとも16回にわたり吉田証言を取り上げた。 たとえば1991年5月22日には連載企画 「手紙 女たちの太平洋戦争」 の一環として、 「従軍慰安婦」 「木剣ふるい無理やり動員」 「加害者側の証言 記録必要と執筆」 の見出しで吉田の証言を写真付きで掲載した。

 吉田証言以外の 「慰安婦」 報道も含めると、データベース調査では1985年から90年までに朝日は54件の報道をしており、読売、毎日、NHKも含めた合計72本のうち75%を占めていた。 まさに 「従軍慰安婦」 報道は朝日の独壇場だった。




 1991年から93年にかけて、朝日は 「従軍慰安婦」 問題で一大キャンペーンを展開する。 慰安婦報道記事は、それまでは年平均10件以下だったのに、91年150件、92年725件、93年424件と毎日のように報道を始める。 それに煽られて読売、毎日、NHKも含めた合計では、それぞれ252件、1730件、1029件と爆発的に増加した。

 91年からのキャンペーンの第一弾は、同年8月11日、韓国在住の元慰安婦の証言を、 「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦」 「戦後半世紀 重い口開く」 という見出しで掲載した記事だった。 元慰安婦がメディアで証言したのは初めてで、大きな反響を呼んだ 「スクープ」 記事だった。

 この記事で朝日は、元慰安婦が 「女子挺身隊」 の名で 「17歳の時、だまされて慰安婦にされた。 2,300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れていかれた」 と報じた。

 しかし4日後の8月15日、韓国のハンギョレ新聞は、この元慰安婦・金学順さんがソウル市内で行った記者会見に基づき、こう紹介した。
 生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番( 養成所 )に売られていった。 3年後の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、キーセン検番の養父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった。
 金さんらは、同年12月に日本政府を相手に国家賠償請求を求める裁判を起こしたが、その訴状にも 「親によって売られた」 事が書かれていた。




 金学順さん自身の 「母親に売られ、養父に連れられて行った」 という証言にも関わらず、朝日はそれには触れずに、 「強制連行」 されたかのような報道を続けた。 たとえば91年12月25日の記事にはこうある。
 「…… 「そこへ行けば金もうけができる」。 こんな話を地区の仕事をしている人に言われました。 …… 近くの友人と2人、誘いに乗りました。」

 「平壌駅から軍人たちと一緒の列車に乗せられ、3日間、北京を経て、小さな集落に連れていかれました。 …… 私と、友人は将校のような人に、中国人が使っていた空き家の暗い部屋に閉じ込められたのです。」
 この記事だけ読めば、いかにも金さんは日本軍に強制連行されたように思い込む読者も少なくないだろう。 「地区の仕事をしている人」 では官憲のようだし 「軍人たちと一緒の列車」 では、いかにも軍に移送されたように読める。 しかし誘ったのも、連れていったのも養父なのだ。

 この記事を書いたのは植村隆記者で、国家賠償請求訴訟を起こした 「太平洋戦争犠牲者遺族会」 の会長の娘と結婚している。 当然、金さんの記者会見や訴状の内容も知っていたはずで、 「親に売られた」 事を隠して、 「強制連行」 されたかのような記事を意図的に書き続けていたのである。

 これらの記事を当時から 「捏造記事と言っても過言ではない」 と批判した西岡力教授を、植村は今になって名誉毀損で訴えている。

 なお、朝日の 「2014特集記事」 では、植村の記事に関しては訂正していない。 「吉田証言」 なら、社外の人間に騙されたと言い訳もできるが、自社の記者が捏造報道を行った事を認めては、インパクトが大きすぎる、と判断したのではないか、との憶測がある。




 「従軍慰安婦」 キャンペーンの第2弾が、92年1月11日に、1面トップで 「慰安所 軍関与示す資料」 と報じた記事だった。

 内容は、悪徳業者が女性を騙したり、誘拐したりする問題が多発しているので、 「業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ」 という陸軍省の慰安所に対する通知だった。 「軍による強制連行」 とは正反対の人道的な 「関与」 である。

 しかし、この記事が宮沢首相訪韓の5日前に発表されたことにより、ソウル市内で抗議・糾弾のデモや集会が相次ぐ事態となり、宮沢首相は何度も謝罪をするはめになった。

 「2014特集記事」 では 「首相の訪韓時期を狙ったわけではありません」 と述べているが、そもそも1月11日の記事で 「宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされることになる」 と書いており、同記事はそういう事態を予測していたのである。

 さらに朝日は翌日の社説で、戦地での慰安所の設置・運営に軍が関与していたことは 「いわば周知のことであり、今回の資料もその意味では驚くに値しない」 と述べている。

 周知の事実を、わざわざ首相訪韓の5日前に、さも大スクープであるかのように一面トップで取り上げて、予想通りの 「深刻な課題」 を背負わしたのである。


調

 朝日の92~93年の 「従軍慰安婦」 キャンペーンが奏功して、日韓の外交問題にまで発展すると、他紙もこの問題をとりあげるようになる。

 吉田証言に関しては、読者から 「そんなことは見たことも聞いたこともない」 「もし事実だとしても、それは例外で、一般化するのは不当である」 という投書が相次いだという。

 1992年3月3日夕刊のコラム 「窓」 はそのような投書に対して、 「知りたくない、信じたくないことがある。 だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」 と書いた。

 「強制連行」 が事実かどうか、という読者からの問題提起に対して、 「知りたくない、信じたくない」 から、そんな事を言うのだろう、それではダメだ、という頭ごなしのお説教である。

 しかし、事実の検証に乗り出した新聞があった。 現代史家の秦郁彦氏による済州島での現地調査結果を、産経が1992年4月30日に報道した。 そこでは吉田の著作に関する地元の 「済州新聞」 の89年8月14日の記事が引用されている。
 島民たちは 「でたらめだ」 と一蹴し、この著作の信ぴょう性に対して強い疑問をなげかけている。

 城山浦の住民チョン・オク・タンさん( 85歳の女性 )は 「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」 と語った。
 郷土史家の金奉玉氏は 「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。 この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」 と憤慨している。




 この産経記事は、朝日の報道にも影響を与えた。 「2014特集記事」 によれば、この産経記事の直後、朝日の社会部記者が、デスクから指示されて吉田に対して、裏付けのための関係者の紹介やデータの提供を求めたが、 「拒まれた」 という。

 また、 「軍関与資料」 報道から引き起こされた日韓外交問題に関して、1992年7月6日には、慰安婦に関する日本政府による初めての調査結果が発表され、慰安婦強制連行を裏付ける資料が見つからなかったことも明らかにされた。

 しかし、この政府調査結果に関しても、1993年3月20日社説で次のように 「負け惜しみ」 のような言い訳を述べている。
 朝鮮半島からの労働者の強制連行があったのに、慰安婦についてだけは、強制がなかったと考えるのは不自然だろう。 敗戦時に焼却された文書は少なくないはずだし、文書に 「強制徴用」 の事実を明記するのは避けた事も考えられる。
 しかし、本当の所は、朝日も 「強制連行」 が事実ではない事をこの頃から認識していたようだ。 「2014特集記事」 では 「93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた」 と言い訳している。

 吉田自身もその後、 『週刊新潮』 の1996年5月2,9日号で 「本に真実を書いても何の利益もない。 関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もあるんですよ。 ( 略 ) 事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。 チグハグな部分があってもしょうがない」 と語った。

 97年3月31日の 「従軍慰安婦 消せない真実」 と題した特集記事では吉田証言について 「済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」 と誤魔化している。




 朝日が91~93年に1299本もの記事による 「従軍慰安婦」 キャンペーンをやり、しかも吉田証言の虚偽が明らかになった後も、訂正をせずに頬被りしたので、その影響は国際社会に広まっていった。

 1996年、国連人権委員会のクマラワスミ報告は、吉田証言などを基に、 「慰安婦は日本政府によって強制連行され、性奴隷となった」 として、元慰安婦への賠償を日本政府に求めた。

 2007年には、米国の下院で 「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」、EU( 欧州連合 )でも 「慰安婦対日非難決議」 が可決された。 現在でもアメリカでは韓国系住民による慰安婦像・碑の設置が続いており、2015年2月現在、8ヵ所に設置されている。 これにより、在留邦人の子弟がいじめにあったケースが報道されている。

 しかし、 「2014特集記事」 では、朝日は自らの報道が国際社会にも大きな影響を与えた点に触れていない。 「強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた」 1993年頃に、きちんとした訂正記事を出していたら、国際社会で我が国が虚偽の汚名を着せられることはなかったろう。

 しかし、そんな声も馬耳東風のようだ。 本年1月22日付けの社説では数研出版の高校公民教科書で 「従軍慰安婦」 と 「強制連行」 の文言を削除する訂正申請を行ったことを、 「慰安婦問題は日本にとって負の歴史だ。 だからこそきちんと教え、悲劇が2度と起きないようにしなければならない」 と批判した。

 「2014特集記事」 で述べた 「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」 という覚悟は本物だった。

 朝日にこうお返ししたい。 慰安婦 『捏造』 問題は日本にとって負の歴史だだからこそきちんと教え、悲劇が2度と起きないようにしなければならない





( 2012.08.15 )

 

 慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。 第2次世界大戦時、日本軍が慰安婦を強制連行したとの 「説」 はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。 しかし、残念なことに、勉強不足から慰安婦問題については韓国側の主張が 「正しい」 と信じている日本人も少なくない。
 東京基督教大学教授の西岡力氏が慰安婦問題の捏造について語る。 ここでは誰が慰安婦問題のきっかけの1つとなった朝日新聞の大誤報について解説する。
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 慰安婦性奴隷説は1983年に吉田清治が 『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』 ( 三一書房刊 )という本を出して誕生する。 吉田は済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を連行し、レイプしたという 「体験」 を語ったのだ。

 だが、 『済州新聞』 は、現地住民はそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989年8月14日同紙に書いている。

 この吉田の証言から8年後、1991年8月11日、朝日新聞が大誤報をして、第1次慰安婦騒ぎが始まる。 「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」 という大見出しを付けた記事は 〈日中戦争や第二次大戦の際、 「女子挺身隊」 の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた 「朝鮮人従軍慰安婦」 のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、 「韓国挺身隊問題対策協議会」 が聞き取り作業を始めた〉 というリードが付けられていた。

  「『女子挺身隊』 の名で戦場に連行され」 と書いている点が吉田証言に乗っかった悪意を持つ誤報だった。 なぜなら、名乗りを上げた元慰安婦、金学順さんは 「『 女子挺身隊』 の名で戦場に連行され」 てはいないからだ。 彼女は貧しさのため母親に40円でキーセン( 妓生。 朝鮮半島の芸妓・娼婦を指す )として売られたと訴状などで明言しているのだ。 今現在まで朝日新聞はこの誤報を訂正していない。

 1992年1月に訪韓した宮沢首相は盧泰愚大統領に8回謝った。 私は同年2月、外務省北東アジア課の幹部に、首相は権力による強制連行を認め謝罪したのか、貧困による人身売買の被害に対して謝罪したのかと質問したところ、これから調べるという驚くべき回答を得た。 以上のような内容を私は同年4月号の月刊 『文藝春秋』 に書いた。

 私の論稿が出た直後、現代史学者の秦郁彦先生が吉田証言について現地調査を行ない、先に引用した済州新聞の記事などを発見して吉田証言も嘘であることを暴いた。 金学順さん以外の名乗り出た元慰安婦の証言についても、ソウル大学名誉教授の安秉直先生が学術的な調査を行ない、権力による連行は証明できないという結論を出した。

 日本政府は1992年1月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、女子挺身隊制度と慰安婦は全く別物であり、慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てこなかった。 以上のように、第1次論争で実は事実関係については決着がついていた。





( 2014.08.18 )

 


 現在、日本が国際社会から 「性奴隷国家」 という屈辱的な批判を浴びせられているのは、朝日新聞が報じた 「慰安婦狩り」 の生々しい証言が根拠になっている。 まず次の文章を読んでいただきたい。
〈韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、私たち実行者が10人から15人、山口県から朝鮮半島に出張し、そのどうの警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。 そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。
 そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣を持っていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます〉
( 1991年5月22日付 )
 証言したのは吉田清治氏( 故人 )。 第2次大戦末期、軍需工場などの労働者の徴用にあたったと自称する人物で、朝日はこの証言を 〈従軍慰安婦 加害者側の証言〉 という見出しで報じ、その後も吉田氏について記事化を続けた。

 証言が事実とすれば、間違いなく国家による慰安婦の強制連行は “あった” ことになる。 しかし、証言は完全なでっちあげだった。

 吉田証言についてはこれまで複数の研究者が実地検証して事実ではないことを指摘し、吉田氏自身も後に 「フィクションだった」 と認めたが、火付け役の朝日新聞は20年以上にわたって頬被りを続けてきた。

 それがとうとう8月5日付朝刊で 〈慰安婦問題 どう伝えたか〉 と題する検証記事を組み、吉田証言について 〈虚偽だと判断し、記事を取り消します。 当時、虚偽の証言を見抜けませんでした〉 と全面撤回したのである。





( 2014.08.20 )

  



 8月5日付の朝刊で、朝日新聞は吉田清治氏( 故人 )の証言した戦時中の 「慰安婦狩り」 についての19911年当時の記事を取り消した。 当時、朝日にはもう一つ重大な 「虚報」 があった。

 吉田証言報道の3ヵ月後、 〈思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く〉 という見出しで、元慰安婦の証言を 〈女子挺身隊の名で戦場に連行された〉 と “スクープ” した記事だ( 1991年8月11日付 )。

 女子挺身隊は慰安婦とは全く別物であるという誤りに加え、吉田証言と表裏一体をなすこの 「戦場に連行された」 という記事にこそ重大な問題がある。

 朝日報道の時点では匿名だったこの元慰安婦は3日後に金学順キムハクスンという実名を出して記者会見し、 「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセン( 芸妓・公娼 )の検番( 養成所 )に売られた」 という経緯を明らかにしたのだ。 西岡力・東京基督教大学教授が解説する。
「金学順さんは母がカネで売った相手、キーセンの検番の義父によって17歳の時に慰安所に連れて行かれたと証言しました。 朝日が書いた国家権力による連行ではなく、母に売られ、義父に騙されて慰安婦にされたと明かしたのです」
 ここに朝日報道の闇の部分がある。 この記事を書いたのは当時大阪社会部に所属していた植村隆・元記者。 植村氏の妻の母は韓国の旧軍人、遺族らでつくる 「太平洋戦争犠牲者遺族会」 会長( 当時は常任理事 )であり、金さんは記事の4ヵ月後に同会メンバーとともに日本政府を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしている。
「つまり、報道は単なる間違いではなく、植村氏は親族の裁判を有利にするために、意図的に金さんがキーセン養成所出身であることを報じなかった疑いがあるのです」( 西岡氏 )
 「母に売られ、養父に慰安所に連れて行かれた」 という話よりも 「女子挺身隊の名で戦場に連行された」 という記事のほうが、日本政府を相手取った裁判が有利になるのは間違いない。

 朝日はこの疑惑について検証記事で、植村氏がキーセン養成所の件を 「意図的に触れなかったわけではない」 「金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」 と説明したとした。 また、義母が幹部を務める遺族会とは別組織である 「挺身隊問題対策協議会( 挺隊協 )」 から証言を聞き、 「義母からの情報提供はなかった」 とも説明した。

 これはおかしい。 植村氏は、金さんの記者会見後の記事でも 「キーセン」 に触れていない。 自分が追いかけていたテーマで知らなかった重大事実が発覚したなら、改めてレポートするなり前の記事を訂正するのが常識だ。

 しかも検証記事で 「情報提供は当時のソウル支局長からあった」 と説明しているが、この経緯もおかしい。 ソウル支局長はなぜ、支局の記者に取材させずに、賠償請求を準備していた当事者の親族である植村記者をわざわざ大阪本社から呼んだのか。 この点について朝日の検証記事は何も触れていないし、当時の支局長のコメントさえない。

 しかも金さんはその後、 「裁判の過程で、最初の会見での話や訴状にはなかった 『日本軍人による強制連行』 があったと証言内容を変えた」 ( 西岡氏 )のである。 記事が裁判に与えた影響も少なくない。

 この慰安婦訴訟の弁護を担当したのは福島瑞穂氏である。 慰安婦問題の政府追及で名を上げ、その後国政に転じて社民党党首、少子化担当大臣として脚光を浴びたのは周知の通りだ。 彼女も今のところ、この世紀の大虚報とデマについて何も語っていない。

 朝日新聞は検証記事で吉田証言の記事は取り消したが、 植村記事については 「事実のねじ曲げはなかった」 と強弁した。 それは、 韓国の反日団体、 日本の “人権派弁護士” と連携して 「強制連行」 を国際社会に浸透させ、 日本政府からカネを巻き上げる片棒を担いだという疑惑こそ、 朝日が絶対認めたくない慰安婦報道の急所だからではないのか。





( 2014.08.21 )

  


 朝日新聞は吉田清治氏( 故人 )が証言した戦時中の 「慰安婦の強制連行」 についての記事を8月5日にようやく取り消した。 この問題が深刻なのは、朝日の嘘が国際社会で既成事実化されたからだ。 朝日の慰安婦報道が国際社会に定着した過程を改めて検証する。 西岡力・東京基督教大学教授が語る。
「韓国政府は朝日の報道を受け、1992年7月に 『日帝下軍隊慰安婦実態調査中間報告』 をまとめ、その中で吉田氏の著書を強制連行の証拠として採用しました」
 それを受けて韓国外務省アジア局長が、 「慰安婦動員に日本政府が強制または強制に近い方法を行使したと推察される」 という見解を表明すると、朝日は待ってましたとばかりに 〈日本政府としてはこの問題に対する責任ある対策を強く促されることになった〉 ( 同年7月31日付 )と報じた。

 親日派として知られた当時の盧泰愚・韓国大統領は退任直前、慰安婦問題について 〈日本の言論機関の方が問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけて国民を憤激させてしまいました〉 ( 文藝春秋1993年3月号の対談 )と告白している。

 それでもいったん上がった火の手は止まらない。 国連にも飛び火した。 弁護士の戸塚悦朗氏が1992年2月の国連人権委員会に出席し、強制連行と慰安婦問題で日本政府に責任を取らせるように提起した。

 国連人権委員会は審理を始め、スリランカの法学者で特別報告官のクマラスワミ女史を中心とする調査団が元慰安婦らから事情聴取。 1996年の報告書では慰安婦を正式に 「性奴隷( セックス・スレイブ )」 と定義した。 その中には、〈強制連行を行った1人である吉田清治は戦時中の体験を書いた中で、他の朝鮮人とともに1000人もの女性を 「慰安婦」 として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している〉 とある。 西岡氏が解説する。
「1995年にはオーストラリア人文筆家のジョージ・ヒックス氏の著書 『THE COMFORT WOMEN』 が出版されました。 英語で書かれ、吉田証言を事実として扱っています。 クマラスワミ報告書ではヒックス氏の本からも多くの話を引用しています」
 朝日の虚報によって日本国民は 罪の犠牲者になり、国際社会に慰安婦=性奴隷説が定着していく。

 2006年には米国議会調査局が 『日本軍の慰安婦システム』 と題するレポートを発表。 吉田氏の証言が引用され、翌年には米下院で日本政府に対する慰安婦への謝罪要求決議が成立した。

 韓国の歴史教科書では 「慰安婦を 『日本軍によって強制的に戦場に連行され、性的奴隷生活を強要された女性たち』 と定義し、吉田証言を参考にしたと思われる 『女性までもが挺身隊という名目で引き立てられ、日本軍の慰安婦として犠牲になった』 という記述がある」 ( 明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏 )という状況だ。
 





( 2014.08.27 )

 

    

 さも社会の木鐸を気取って、歴史を捩じ曲げておきながら一言の謝罪もない。 朝日新聞が去る8月5日と6日、自らの慰安婦報道を検証する記事を掲載した。 だが、その中味はご都合主義の言い訳ばかり。 こんなにも日本人をはずかしめた大罪の落とし前はどうつけるのか。

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 朝日新聞が32年間にわたって、慰安婦問題の誤報を垂れ流した影響は、屈辱的な慰安婦像が在ソウル日本大使館前に建てられただけでは済まなかった。

 8月4日には、米国ニュージャージー州ユニオンシティで、あらたな慰安婦碑の除幕式が行われ、参列した地元市長は、 「このような過ちを繰り返してはならない」 と日本を非難する言葉を口にした。

 全米では、すでに7つの慰安婦碑が完成している。

 そのうちの一つ、ニューヨーク州ナッソー郡に建てられたそれには、こう刻まれている。
〈 “慰安婦” として世界で知られている20万人以上の婦女子を偲んで。 彼女たちは、1930年代~1945年、日本帝国軍によって性奴隷とする目的で誘拐された 〉
 他の碑もほぼ同様に、 “sex slave( 性奴隷 )” という言葉が使われているが、20万人という数字、誘拐 ……、すべて史実に基づかない真っ赤な嘘なのだ。

 にもかかわらず、日本人は公然と辱められている。

 それだけではない。

 1996年、 “慰安婦は強制連行された性奴隷” だと認定したクマラスワミ報告が国連に提出され、 米下院においては、 “慰安婦に対する日本政府の謝罪を求める” という決議が2007年になされている。 なおかつ、 オランダ下院、 カナダ下院、 欧州連合もそれに同調した。 加えて、 今春訪韓したオバマ米大統領は、 「とんでもない人権侵害だ。 戦時中であったことを考慮しても、彼女たちは過酷とも言える暴行を受けた」 などと記者会見で述べる始末 ……。

 要するに、 我々日本人は悪魔のようなレイプ魔の子孫であると、 全世界から見られているのだ。

 だとすれば、 韓国の朴槿恵大統領が図に乗って、 フランスやイギリスなど各国首脳との会談で、 慰安婦問題を執拗に持ち出し、 日本批判を繰り返すのも当然のことかもしれない。 8月15日に開かれた “光復節” の式典でも、 相も変わらず慰安婦問題の解決を日本政府に迫った。

 つまり、朝日新聞によって、日本人の名誉と尊厳は計り知れないほどにおとしめられたのである。


 読者をミスリード

 朝日はなぜ、いまさらながら慰安婦報道の検証に踏み切ったのか。

 同社の中堅幹部によれば、
「2月末に、菅義偉官房長官が “河野談話を検証する” と明言したのがきっかけなのは間違いない。 4月の頭に、渡辺勉・東京本社編成局長のもと、特別報道部を中心に政治部や社会部などから10人足らずのメンバーを集め、取材班を編成しました。 安倍政権になってから、慰安婦問題の報道について風当たりも強くなり、読者からの批判の声も急増していたし、どこかで見直しをする必要に迫られていたのです」
 要するに、外部からの批判に耐え切れず、仕方なく検証記事を掲載したに過ぎないのだ。

 朝日は8月5日付の朝刊で、 『慰安婦問題 どう伝えたか』 という大見出しを打ち、 “強制連行” “ 「済州島で連行」 証言” “ 「軍関与示す資料」 ” “ 「挺身隊」 との混同” “ 「元慰安婦 初の証言」 ” という5つのテーマを掲げて、検証に見開き2ページの紙面を割いた。 ただ、どれも、自らを正当化するための論理のすり替えや欺瞞のオンパレード。

 朝日の慰安婦報道は、1982年9月2日付朝刊( 大阪本社版 )から始まる。

 のちに、 “稀代の詐話師” と呼ばれた吉田清治なる人物の 「1週間に済州島で200人の若い朝鮮人女性を狩り出した」 というホラ話に丸乗りしたのだ。 その後、 『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』 を著した吉田氏を、少なくとも16回、紙面に登場させた。

 今回、朝日が取り消したのは、この “吉田証言” にかかわる記事だけだった。 しかし、
「それが瓦解すれば、軍が慰安婦を強制連行したという証拠は一つもなくなるのです」
 と解説するのは、慰安婦問題に詳しいジャーナリストの水間政憲氏である。
「当然、一連の朝日の記事は誤報となったわけですが、往生際の悪いことに、 “女性の意に反して慰安婦にされる強制性はあった” などと未だに言い張っている。 むろん、貧困のために親に売られたり、業者に騙されたケースはあったかもしれません。 けれど、朝日は国家が女性を力ずくでさらって売春婦にしていたと報じてきたのですから、論理のすり替えというほかないのです」
 他にも、朝鮮人を強制連行した “吉田証言” が虚偽となると、今度はインドネシアで軍が現地の女性を無理やり連行した資料があると主張している。

「それは、スマラン事件と呼ばれるものなのですが、軍が主導して起こしたわけではなく、むしろ、軍の規律を無視した兵士の個人的な犯罪です。 事件が発覚すると、軍はすぐさま慰安所を閉鎖し、当事者は戦後、戦犯法廷に引き出され、死刑になった者もいる。 逆に言えば、軍が組織的に強制連行をしていなかった証拠なのに、実に抜け目なく、読者をミスリードしようとしているのです」 ( 同 )
 だいたい、朝日はこれまでに何度も “吉田証言” 報道を撤回する機会があったはずなのだ。 92年には、現代史家の秦郁彦氏が済州島を調査し、 “信憑性は疑わしい” と産経新聞などに発表している。 なにより吉田氏本人が、本誌の取材に対し、
「本に真実を書いても何の利益もない。 関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もあるんですよ。 ( 略 ) 事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。 チグハグな部分があってもしょうがない」
 と答え、つまりはデッチ上げを認めていたのだ( 96年5月2・9日号 )。

 その吉田氏は、2000年に他界している。

 そこで、長男に話を聞くと、
「3週間くらい前、2人の朝日の記者が突然、自宅に押し掛けてきた。 そして、 “お父さんはいつからどこで仕事をしていたんですか?” “いつ大陸に行ったのですか?” などと質問を浴びせかけられました。 正直、父が亡くなる前に取材に来ればよかったのにと思わずにはいられなかった。 いまさら、父の証言が虚偽だったと記事に書かれても、私には反論する材料もありませんから、ただ泣き寝入りするだけです」
 吉田氏の家族もまた、朝日に翻弄されたのだ。


 女子挺身隊は嘘

 朝日は、稀代の詐話師に騙されたマヌケだったとは認めても、 “元慰安婦 初の証言” というテーマでは一歩も引く構えを見せていない。

 それは、植村隆・元記者( 当時、大阪社会部 )が1991年8月11日( 大阪本社版朝刊 )に報じた、 『元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く』 という記事だった。

 東京基督教大学の西岡力教授はこう指摘する。
「この記事には見過ごせないゴマカシがありました。 植村元記者はこの女性について、 “女子挺身隊の名で戦場に連行された” と書いている。 その後、この女性は金学順という実名を明かし、 “40円でキーセンに売られた” と告白した。 ですが、女子挺身隊だったとは、一度も話したことはないのです。 勝手に女子挺身隊という経歴を付け加え、国家総動員体制に基づく強制連行だったと印象付けたわけです」
 さらに、植村元記者の韓国人の義母は慰安婦などを支援する 『太平洋戦争犠牲者遺族会』 の実質トップだったのだが、検証記事では縁戚関係を利用して特別な情報を得てはいないと弁明している。
「でも、情報提供の有無が問題なのではありません。 義母の団体は金学順さんらを担ぎ出し、日本政府に対して賠償請求訴訟を起こしている。 検証記事ではそのことに一切触れていない。 裁判で義母を利するために、間違いを承知で記事にしたと勘繰られてもおかしくはないのです」( 同 )
 ましてや、大阪社会部の記者がなぜわざわざソウルに飛び、慰安婦の記事を書いたのか、その説明もされていない。 朝日としては、突かれるとダメージが大きい植村元記者の捏造問題には頬かむりしたのだ。

 ところで、朝日は検証記事に〈 他紙の報道は 〉という項を設け、読売、毎日、産経各紙の紙面を遡っている。 そこでは、産経新聞が吉田清治氏を 「証言者」 として大きく取り上げたことや、読売新聞が従軍慰安婦を〈 朝鮮人女性が 『女子挺身隊』 の名でかり出され 〉と書き、朝日同様に慰安婦と挺身隊とを混同したことなどをあげつらっている。

 むろん、産経はいち早く吉田証言に疑義を呈したし、読売もまた然り。 杉浦信之編集担当は、〈 似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました 〉と言ってのけたが、32年間も頬かむりしてきたのは朝日だけなのである。
「慰安婦報道について、社内でおかしいという声がたくさんあっても訂正してこなかった朝日が、他紙の報道を検証するなんて、まったくおかしい」
 と言うのは、朝日新聞社OBの本郷美則氏。 90年代前半に朝日新聞のソウル特派員を務めたジャーナリストの前川惠司氏も、
「人様のことを言っても仕方ない。 今必要なのは、朝日がなぜこんな報道をしたのか、しっかり説明すること。 潔さが感じられない」
 そう呆れ返るのだ。 別の項にはこんな記述もある。
〈 70年6月、作家の故千田夏光氏が週刊新潮で 「慰安婦にさせられた」 という女性や旧軍関係者の聞き取りを紹介。 73年にルポ 『従軍慰安婦』 を刊行した 〉
 朝日は 「挺身隊」 との混同を検証するくだりで、記者が 『朝鮮を知る事典』 を参考にしたのが原因だとし、事典の執筆者の元ネタが千田夏光氏の 『従軍慰安婦』 だとする。 その起源はそもそも週刊新潮の記事だ ――。 朝日はそう、読者に示唆しているように読める。

 だが、 「日本陸軍慰安婦」 と題された記事には、日本人と朝鮮人双方の慰安婦について、検診が大変であったという軍医の証言や、最前線で玉砕する例もあったことなどが、淡々と綴られているにすぎない。

 千田氏の “罪” はむしろ、その後に著した 『従軍慰安婦』 の中の記事が起源でない部分にある。
「千田氏はソウル新聞からの引用として “挺身隊という名のもとに彼女らは集められたのである” “女子挺身隊に動員された女性20万人のうち、5万~7万人が強制的に従軍慰安婦に従事した” と書いた。 でも実際には、ソウル新聞には “挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人、そのうち韓国女性は5万~7万人と推算されている” とある。 元の記事に挺身隊と慰安婦の混同はないのに、吉田氏が千田氏の誤記を紹介したため、20万人という数字が一人歩きしたのです」( 西岡教授 )
 それを広めたのが朝日なのは、言うまでもない。


 加害者、被害者、公文書

 さて、検証された項目のうち、 「軍関与示す資料」 についての記事は、92年1月11日付朝刊の1面トップに掲載された。
「朝日は82年、吉田清治氏という自称 “加害者” を取り上げ、91年8月に金学順さんを “被害者” として載せた。 そして92年1月、軍関与の資料を “公文書” として報道することで、従軍慰安婦問題をフィクションとして完成させたのです」
 西岡氏がそう断じる記事は、〈 日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが 〉と始まって、〈 これまでの日本政府の見解は大きく揺らぐことになる 〉〈 宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされた 〉等々、鬼の首でも取ったかのような勢いだ。 さらには、従軍慰安婦は〈 主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。 その人数は8万とも20万ともいわれる 〉という “メモ” も附されていた。

 実際、この記事に当時の政府は狼狽して、加藤紘一官房長官は謝罪談話を出し、5日後に訪韓した宮沢喜一首相は8回も謝罪するハメになったのである。

 このため、首相の訪韓直前を狙って掲載したという見方が根強いのだが、朝日は検証記事で〈 記者が情報の詳細を知った5日後に掲載され、宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません 〉と、結論づけた。

 本当なのか。 執筆した当時の社会部記者、辰濃哲郎氏に聞くと、
「作成過程は検証記事にあったとおりで、デスクから “年末あるいは年明けの早い時期に出せないか” と言われていましたが、自信が持てず “無理です” と答えました。 それに、政治部でないので首相訪韓への認識はなかった」
 とのこと。 すると、デスクは “時期” を意識していたということか。 また、
「宮沢首相の訪韓に触れたくだりは、私ではなくデスクが書いたのです。 従軍慰安婦の “メモ” も、誰かが過去のスクラップから書き写したもの。 もちろん、私がきちんとチェックしなければいけなかった」
 個々の記者の意図を超えて、記事が政治性を帯びていく過程が垣間見えるようだ。 ちなみに、辰濃氏は04年、医大が補助金を不正にプールした問題を取材した際、関係者の話を無断で録音して第三者に渡したため、退社処分になっている。

 それはともかく、朝日は掲載時期の話だけでお茶を濁し、軍関与の内容の検証はおざなりのままだが、
「この資料は基本的に、業者が軍の了解を得ているとかたって、誘拐まがいの行為をしたりするのを、警察と協力して取り締まろうという内容。 むしろ、強制連行をなくすための “善意の関与” なのに、朝日は逆の意味に用いている」
 と、西岡氏。 拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏も、
「戦前は売春が合法で、慰安婦が戦闘に巻き込まれないように保護し、衛生検査を軍が代行しました。 だから軍が関与したのは当たり前。 朝日は論点にならない論点を作り出し、 “日本政府の見解は大きく揺らぐ” と芝居を打ったんです」
 と語る。 慰安所には利用者である軍が関与していた、という常識を、あたかも大スクープのように報じ、ご丁寧に 「強制連行」 という言葉まで絡ませたのだ。
「ここからです、慰安婦問題が大きくスタートしたのは。 それまで少しずつ流れ出していたマグマが、この記事を契機に一気に爆発し、国の関与、軍の関与が取り沙汰され、大きなうねりになっていくんです。 たとえば韓国では、この報道を機に、慰安婦が大使館に押し寄せて謝罪を要求する、今も続く “水曜デモ” が常態化しました」( 水間氏 )
 こうして、藤岡氏が、
朝日新聞の従軍慰安婦報道によって失われた国益は、天文学的な数字になる
 と嘆くほどの状況に日本を追い込んでいったのだ。


 読者の反応を載せられない

 だが、朝日には、国益を蝕んできたことへの反省の色はみられない。
「“世界有数のクオリティペーパー” が、虚報を撤回しますと言う一方で、なんら謝罪をしていない。 そのうえ、他紙も間違った、当時は研究が進んでいなかった、などと言い訳を書き連ねて、弁明に終始していた。 彼らが口にする “社会の公器” という矜持が、この人たちにはまったくないことがよくわかりました」
 そう言うのは、京都大学名誉教授の中西輝政氏。 同じことをコラムニストの勝谷誠彦氏に語らせると、
「朝日のこの開き直り記事は、白旗を揚げながら、近づいてきた武装解除要員を射撃するようなもの」
 となる。 その姿勢は、この新聞が日ごろ、他者に求める姿勢と大いに矛盾していると言うほかない。 麗澤大学の八木秀次教授は、
「これまで朝日は、食品偽装など企業が問題を起こすたびに、必ず社長を引きずり出し、吊し上げてクビをとり、場合によっては倒産にまで追い込んできた」
 と指摘。 もっとも、この新聞は強くモノを言う相手には、面子をかなぐり捨てて謝罪してきた。 12年、 「週刊朝日」 が橋下徹大阪市長の出自を題材にした記事を掲載し、怒った橋下氏が朝日の取材を拒んだ際は、関係者をすみやかに処分し、責任者たちが橋下氏を訪れ、深々と頭を下げている。

 むろん今回も、いや、日本の国際的な信頼を著しく貶めた今回こそ、
「自分たちの報道がもたらした結果を分析し、評価を下し、記者会見を開いて謝罪すべき」( 藤岡氏 )
 であるし、また、
「問題を放置してきた現社長、担当役員から、報じた当時の担当に至るまで、責任をとるべき」( 本郷氏 )
 に違いないが、二枚舌は朝日の朝日たるユエンである。 だから現実には、
「検証記事のほとんどの項目に共通するのは “うちは騙された、被害者だ” と書いていること。 しかし、これは裏づけなど新聞社としての “取材のいろは” が欠落していたと自分で言っているようなもので、僕はびっくりしました」
 と、先の朝日OBの前川氏は言う。 また、逃げ腰は、こんなところにも透けて見える。 防衛大学校名誉教授の佐瀬昌盛氏が言う。
「朝日は〈 読者の疑問に答えます 〉と書き、あの特集は読者に向けたという建前になっています。 そして、読者の反応が表れるのは投書欄ですが、8月5日以降の “声” 欄に、この問題に関するものが1通も出ていません。 こんなに大きな2日連続の記事を載せたのに、読者が反応しないわけがない。 投書の多くは “何やっているんだ” というものでしょう。 朝日はそれを載せられない。 正面から向き合う勇気がないのです」
 自浄作用が期待できない朝日には、外から訴えていくほかあるまい。 自民党の石破茂幹事長が言う。
「世間には朝日新聞しか読んでいない人が大勢いますし、その記事を元に韓国をはじめ様々な国の世論が形成されてきたであろうことは、十分に想像がつきます。 そうした影響力がある新聞による慰安婦問題についての一連の報道を、国民の代表が集う国会の場で検証するのは、やはり必要ではないかと私は思います」
 朝日が求める〈 隣国と未来志向の安定した関係を築く 〉( 5日付朝刊1面 )ための早道は、真実よりプロパガンダを優先し、都合が悪ければ頬かむりする、この詐話師ならぬ詐話紙にご退場いただくことだろう。




( 2014.10.07 )

 

 新聞名を隠して読んでもらい、 「どこの国の新聞か?」 と尋ねたら、 「韓国紙だ」 と答える人もいるかもしれない。 朝日新聞を読んでいると、慰安婦報道だけでなく、さまざまな 「韓国ヨイショ」 の記事が目につくのだ。

 2005年3月25日付の 「日本と韓国 二人の首脳に言いたい」 と題された社説は、典型的な例である。 記事では、当時の盧武鉉大統領が 「竹島の日」 制定や教科書問題で 「外交戦争もありうる」 と日本政府を激しく非難していると述べながら、小泉純一郎首相( 当時 )にこう提言する。
なぜ、( 韓国の )大統領がそうまで語るに至ったのかを考えてみなければならない

だんまりを決め込むのでなく、丁寧なメッセージを韓国へ向けて発すべきである
 この社説は見出しに 「二人の首脳に言いたい」 と掲げているが、小泉首相を一方的に非難するだけで、盧大統領に対する注文はどこにもない。 それどころか、盧大統領に成り代わって小泉首相を諭しているのだ。

 朝日の場合、こういった韓国寄りの社説は枚挙にいとまがない。

 2013年4月28日付の社説 「日本と韓国 向き合い、信頼きずけ」 では、安倍政権誕生後の初の日韓外相会談が取りやめになったのは、当時の麻生副総理をはじめとする国会議員168人が靖国神社を参拝したからであり、外交戦略に欠けていると非難している。

 しかし、今年の終戦記念日のように安倍首相が参拝を控えたからといって、韓国が大人しくなったわけではない。 そもそも、今の日韓関係悪化は、2012年8月の李明博大統領の竹島上陸と天皇への謝罪要求発言に端を発し、2013年2月に後を引き継いだ朴槿恵政権が露骨な反日姿勢を示したことが最大の原因だ。 そこには触れず、靖国参拝が原因と日本側を責め立てるのだ。

 その朝日が珍しく日本の政権与党を褒め称えたことがある。 2009年に民主党の鳩山政権が誕生したときのことだ。

 2009年10月10日付の社説 「日本と韓国 歴史を直視して、前へ」 では、日韓首脳会談で鳩山由紀夫首相が、アジアでの植民地支配や侵略への深い反省を表明した 「村山談話」 を重視したことを絶賛し、こう書く。
この地域の近現代の歴史をどう見るのか、戦後の日本は何を反省し、教訓としているのか。 鳩山首相には常にそこを意識し、一貫した発信に心がけてもらいたい
 この頃はまさか自分たちが、 「歴史を直視」 させられ、32年前の慰安婦虚報で謝罪することになるとは思いもよらなかっただろう。




( 2014.09.10 )

  


 朝日新聞が慰安婦問題報道について、8月5日付朝刊に掲載された 「慰安婦問題を考える」 特集で誤りを初めて認めた。 ところが、済州島での強制連行についての証言は虚偽だと認めたものの、他の事実について十分な検証が行われていないため批判が収まらないと、朝日新聞元ソウル特派員のジャーナリスト・前川惠司氏が指摘する。
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 韓国で元慰安婦が初めて名乗り出たとして掲載された、1991年8月11日の大阪本社版社会面トップ 「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」 についての、特集記事の弁明を見てみよう。

 植村隆元記者が元従軍慰安婦・金学順キムハクスン( 故人 )のテープを聞いて 「だまされて慰安婦にされた」 と書いた記事だが、その後、この記事は、 「数えの14歳の時に母からキーセンに売られた」 との事実( ※注 )、つまり重要な WHAT が欠落しているがゆえに、一連の慰安婦報道の火種になったと、朝日新聞批判派から指摘され続けた。
※注 朝日新聞は、金学順さんが 「だまされて慰安婦にされた」 と書いたが、金さん自身が原告の裁判などで、 「家が貧乏で母親にキーセンに売られ、その後慰安所に行った」 と証言している。
 特集記事では、批判派が問題視する 「売られた」 を、 「14歳からキーセン学校に3年間通った」 という風にすり替えたような表現にしたうえで、植村元記者は、
〈そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた〉
 と書いている。
「ウソをついた金さんが悪い。 騙された記者は被害者」
 と言っているのにひとしい言い訳ではないだろうか。 この点だけでも、様々な批判を生んでも仕方がないと思わざるを得ないが、結局のところ特集記事では、批判派が追及する、 「売られたかどうか」 には応えておらず、事実の不在に朝日新聞はしらをきり通していると、読者には見えるのではないか。

 金学順は植村元記者の第一報から6年後に亡くなっている。 訃報を書いたのは当時ソウル特派員だった植村元記者だ。 特集記事を素直に読めば、彼はテープを聞いて書いただけで、その後6年間の長き間、ソウルで彼女に会って確かめようともしなかったということになる。

 8月5日の特集記事の 「◇読者のみなさまへ」 で、朝日新聞は、
《 植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません 》
 と強調しているが、読者が知りたいことは、事実の不在であり、 「なぜ、彼は当たり前の裏付け取材をしなかったのか」 だ。

 長らく沈黙しているのは、それなりの事情があり、それは何なのかなと考えてきたが、裏付け取材という当たり前の基本作業もしていなかったというだけだったのか、と余計驚いた。 事実関係がおかしいと指摘された時点で彼女に会い、続報の形で読者に伝えておけば、これほどの問題にはならなかった。





( 2015.05.21 )

  


 安倍晋三首相が米連邦議会で歴史的なスピーチを行ってまもなく、ある日本人がニューヨーク大学で講演に臨んでいた。 聴衆を前に持論を展開したのは、朝日新聞の “誤報” 問題で渦中の人となった植村隆元記者( 57 )である。 従軍慰安婦の存在を世に知らしめた “立役者” には、その日も反省の色はナシだった。

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 今月4日( 現地時間 )、全米屈指の名門校で開かれた講演会には約80人が詰めかけ、立ち見が出るほどの盛況ぶりだったという。 それに気を良くしたのか、植村元記者はのっけから、
「私は北海道の小さな大学、北星学園大学の非常勤講師をしております。 週に1回、月給5万円のささやかな仕事ですが、いま日本で一番有名な非常勤講師じゃないかと思います」
 と、古巣が得意とする “自虐” ネタを披露して会場の笑いを誘ったのだ。

 そもそも植村元記者は、1991年8月11日付の朝刊( 大阪本社版 )で、元慰安婦の肉声を報じた、慰安婦報道の先駆け。 昨夏、日本中を揺るがせた朝日の誤報問題でも、その名を取り沙汰された人物である。
「この記事の問題点は、元慰安婦が証言していないのに、 “女子挺身隊” として “戦場に連行され” たと書いたこと。 この記事が日本軍による強制連行を印象づけたこともあって、慰安婦問題は日韓の外交問題に発展したのです」( 政治部記者 )
 とはいえ、ご本人にとっては、今も思い入れが強い記事のようで、
「( 当時、元慰安婦 )本人には会えませんでしたが、慰安婦の聞き取り調査をしている団体に取材し、本人の話を録音したテープレコーダーを聞かせてもらって書いたスクープ記事です」
 と、日本の外交に多大なるダメージを与えたことを尻目に、未だに “スクープ” と胸を張るのだ。


読売や産経まで

 さらに、批判を浴び続ける記事への弁解は続く。
「私は “だまされて慰安婦にされた” と書いてるんだけど、そういうことはカットして、( 官憲による )強制連行みたいに書いたと、 『週刊文春』 という雑誌が記事にしたんです。 異常なことに安倍政権を応援する、サポーター的な立場である読売新聞や産経新聞まで私を攻撃しました」
 だが、古巣の朝日新聞社が設置した第三者委員会も、昨年12月の報告書でこう断じている。
〈 「だまされた」 と記載してあるとはいえ、 「女子挺身隊」 の名で 「連行」 という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると、安易かつ不用意な記載である〉
 今回の講演では、なぜか半年前の指摘については、都合よく “カット” されていた。 それどころか、
「仮にだまされた、人身売買だったとしても、慰安所で日本軍の兵士の相手をさせられたこと自体が大きな人権侵害というのが国際的な認識になっている。 つまり、強制連行かどうかということは、グローバルな世界は関心がないんです」
 だが、彼が口火を切った慰安婦問題が、いまも日韓関係に暗い影を落とし続けていることは紛れもない事実。 京都大学の中西輝政名誉教授が呆れ顔で語る。
「“強制連行があった” と主張してきた朝日新聞の主張が瓦解したいま、この発言は開き直りとしか思えません。 アメリカでの講演活動に乗り出したのは、事情を知らない海外メディアが、彼の言い分をそのまま自動的に報じてくれるからでしょう。 植村さんを招待した大学は反対の立場の人間も呼ぶべきです。 そうでなければフェアじゃないですし、単なる “反日運動” とみなされますよ」
 1時間近くに及ぶ講演を終えた植村元記者は、
I will fight! I cannot lose this fight!
 と、声を張り上げた。

 結局、彼には自らの保身しか頭にないのだ。





( 2015.06.17 )

  


 日本でも、すぐに 「訴えてやる」 という声が聞かれるようになった。 朝日新聞元ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏が、慰安婦問題について言及する。 その対象は元同僚・植村隆元記者である。 植村氏の書いた慰安婦関連記事を、 「捏造」 扱いをしたなどとの指摘をした東京基督教大学教授の西岡力氏らが、名誉棄損で訴えられた件だ。

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 事実は一つ。 真実は見る人によって色も形も違う。 裁判の判決イコール真実とはいえない。 新聞記者の世界で、適切な記事だったかは、法廷でカタをつけられる問題なのか。

 朝日新聞元記者の植村隆氏が、東京基督教大学教授の西岡力氏らを訴えた裁判では、170人もの大弁護団の一人が、提訴時に 「ほかの人々も順次訴えていく」 と宣言したことなどで、歴史学者の秦郁彦氏は、 「金銭、時間、精神的負担を怖れる批判者への威嚇効果は絶大」 であるとし、 「恫喝訴訟」 という言葉を使っている( 産経新聞 「正論」 )。

 この訴訟がそこまで言われるのは、彼が西岡氏らの様々な批判や疑問に手記や講演などで誠実に答えたと思われていないからだろう。

 実際、疑問はまだある。 韓国人の元従軍慰安婦の聞き取りテープからの、 「思い出すと今も涙」 ( 1991年8月11日朝日新聞大阪社会面 )の取材経過について大阪社会部員だった植村氏は手記で、朝日新聞ソウル支局長が当時、南北朝鮮国連同時加盟問題など忙しかったので、植村氏がソウルに出かけたというが、調べた限りでは、当時のソウル支局長が書いた8月中の国連加盟関連記事は7本で、外報面トップの4段のほか、ベタ記事が4本。 応援が必要な多忙さだったのか。 そして、この弁解は意見陳述から消えている。

 その意見陳述などによると、植村氏は8月10日にテープを聞くと、会うことも名前も聞くこともできないまま、その日のうちに出稿した。 本来はテープを聞き終えたら、提供した韓国挺身隊問題対策協議会に、 「やはり本人に確認しなければ、記事にできない」 と注文し、会って、事実であろうとの心証を得たうえで記事にするのが、こうした取材の基本だろう。 何百万の読者がいる一般商業紙が信頼に応えるとは、そういうことのはずだが、そんなに急いで記事にしたのはどうしてか?

 朝日新聞を捲っていると、翌12日紙面には朝日新聞主催の 「歴史認識」 をテーマにした広島でのフォーラムの特集記事2頁があった。 見出しは 「過ちの歴史 率直に反省」。 こうした紙面計画があると、同じテーマの記事がいつもより大きく扱われる。 それを意識していたのか。 特に広島は大阪本社管内で、大阪社会部員なら、東京本社を経ずに出稿できる。 ここも気になる。

 もうひとつ付け加えたい。 彼は 「24年前に書いた記事で激しいバッシングを受けている」 として 「自分は被害者だ」 との主旨の主張を意見陳述などで繰り返している。 しかし、本当の被害者は、十分な取材なしの記事を読まされた朝日新聞の読者であり、考えようによっては、日韓関係なのだ。 そのことを、彼はどう考えているか。 聞きたいものだ。

 植村氏は手記で、月刊 「文藝春秋」 1992年4月号で西岡氏から最初に批判された時に、朝日ジャーナル誌上で反論しようとしたが、上司らから 「放っておけ」 と言われたなどで、見送ったと書いている。 商業新聞の記事は社会的存在だ。 反論することがあれば、その時に反論すべきだった。 今度も、西岡氏や櫻井よしこ氏らと 「朝まで生テレビ」 で論争してけりをつければ、大弁護団など必要なかった。 「恫喝裁判では?」 と疑われる所以だ。





( 2015.08.03 )

 

 朝日新聞が自社の慰安婦報道に関する記事の一部の誤報を認め、関連記事を取り消してから5日で1年となる。 初期の朝日の慰安婦報道に関わった植村隆元記者( 北星学園大非常勤講師 )が、初めて産経新聞のインタビューに応じた。

 朝日新聞は昨年8月5日付の特集記事で、 「韓国女性を強制連行して慰安婦にした」 と証言した唯一の日本側証人、自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の証言を虚偽だと判断し、関連記事16本を取り消した( 後に2本追加 )。 国家総動員法に基づき工場などで働いた 「女子挺身隊」 と 「慰安婦」 を混同した報道を繰り返したことも認めた。 だが、謝罪はしなかった。

 特集記事は、元韓国人慰安婦の女性について 「女子挺身隊の名で戦場に連行」 と事実と異なる報道をした元朝日新聞記者、植村隆氏の記事については、 「意図的な事実のねじ曲げなどはありません」 と結論付けた。

 こうした姿勢に、朝日が設置した第三者委員会( 中込秀樹委員長 )も、昨年12月公表の報告書で朝日の検証記事について 「自己弁護の姿勢が目立ち、謙虚な反省の態度も示されず、何を言わんとするのか分かりにくい」 と厳しく批判した。

 この朝日新聞の第三者委による報告書も、批判の対象となった。

 朝日の慰安婦報道を独自検証した 「独立検証委員会」 ( 中西輝政委員長 )は今年2月、朝日の第三者委報告書についてこう問題点を突いた。
「国際社会に与えた影響を分析する部分では見解をまとめられず不十分」
 その上で独立検証委は、平成3~4年の吉田虚偽証言、女子挺身隊の誤用、あやふやな元慰安婦証言、20万人強制連行説を広めた軍関与を示す文書発見と続く一連の朝日報道を次のように結論づけた。
「数々の虚偽報道を行い、結果として、 『日本軍が女子挺身隊の名で朝鮮人女性を慰安婦にするために強制連行した』 という事実無根のプロパガンダを内外に拡散した」
 朝日が、宮沢喜一首相( 当時 )の訪韓直前の4年1月11日、朝刊1面トップで 「慰安所 軍関与示す資料」 の見出しで掲載した記事は、朝日の第三者委も 「慰安婦問題が政治課題となるよう企図して記事としたことは明らか」 と分析。 独立検証委は、 「韓国紙が慰安婦問題を集中的に取り上げるのは、4年1月からだ」 と指摘した。

 独立検証委の副委員長を務めた西岡力・東京基督教大教授はこう断言する。
「虚偽の加害者( 吉田氏 )証言に加えて、虚偽の被害者証言も書き立てた。それによって 『女子挺身隊として強制連行』 という虚構が作り上げられ、国際社会に広まった。 その責任を朝日が認め、検証しない限り、反省したとは到底言えない」
 7月30日に産経新聞のインタビューに応じた元朝日記者、植村隆氏は3年8月11日付朝日朝刊社会面( 大阪本社版 )で、元韓国人慰安婦だと初めて名乗り出た金学順氏( 記事では匿名 )の証言を署名入りで韓国メディアに先んじて報じた。 昨年春に退社し、札幌市の北星学園大学の非常勤講師を務めるが、記事をめぐって、大学や家族らへの脅迫が続いたため今年1月、過去に記事を批判してきた西岡氏らを名誉毀損で訴えた。
「事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないのに、 『女子挺身隊』 と 『連行』 という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」
「安易かつ不用意な記載であり、読者の誤解を招く」
 3年8月11日の植村氏の記事について、朝日の第三者委報告書はこう断じた。

 植村氏は記事で 「『女子挺身隊』 の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた 『朝鮮人従軍慰安婦』」 のうちの一人だと金氏を紹介した。

 産経新聞の取材に対し、植村氏はこの記事は韓国挺身隊問題対策協議会で一度だけ聞かせてもらったテープをもとに同会から背景説明などを受けて書いたと説明。 テープについて 「僕は持っていない」 と語った。 テープを聞いた時点では、女性の名前は知らされなかったという。 「女子挺身隊」 という言葉が出てきたかどうかに関しては 「定かじゃない」 と答えた。

 だが、記事が出た直後、金氏の経歴をめぐる異なる事実関係が明らかになる。

 金氏は3日後の14日に実名を明かしてソウルで記者会見を開いた。 翌15日、韓国紙ハンギョレは 「母親によって14歳の時に平壌のキーセン( 妓生 )の検番に売られ、検番の養父に連れられていった」 と報じた。

 金氏らが12月に東京地裁に起こした賠償訴訟の訴状も、金氏の経歴に関し 「養父に連れられて中国へ渡った」 とあり、 「挺身隊の名で連行された」 と記載していない。

 朝日新聞は昨年8月の検証記事で、金氏が挺身隊の名で連行されたかどうかについては見解を示さなかった。 その後、 「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」 との 「おことわり」 をデータベース上に追記。 事実上、誤報を認めた。

 植村氏は第三者委の指摘について 「強制的に連行されたような印象を与えるということだが、印象ではなく 『強制連行』 ( という表現 )で伝えているメディアがあることにも触れてほしかった」 と語った。 「植村が捏造記者じゃないことが報告書からも分かる。 そこを強調したい」 とした。

 朝日の第三者委報告書は同じ3年中、植村氏が金氏について書いたもう一つの署名記事も取り上げた。 12月25日付朝日新聞大阪本社版の 「日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」 の記事だ。

 この記事は1ヵ月前の11月25日、植村氏が高木健一弁護士らによる金氏へのヒアリングに同行した際に録音したテープを基に書いたものだが、金氏が12月6日に起こした賠償訴訟の訴状にも記載されたキーセン歴が書かれていなかった。

 独立検証委は との見解を示す。

 また、植村氏の韓国人の義母は当時、金氏らを原告とする賠償訴訟を支援した太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部だった。 植村氏は 「結婚する前からずっと、この問題を取材してきた。 別に家族のために書いたわけじゃない」 と述べた。