May. 11, 2007
日本の
  ベッ



中国共産党と人民解放軍によって地図から消された2つの国。
そこでは地獄のような人権弾圧が今なお続いている。

消滅した2つの国

 中国について、日本のマスコミが報道しない惨状があります。 それはチベットと東トルキスタンの実状です。 チベットの名称はともかく、東トルキスタンという名前に馴染みがある人はそう多くはないでしょう。 この2つはともに、かつて中国の隣に実在した独立国でした。
 第二次世界大戦後、東トルキスタンはソ連の思惑に振り回される形で解体され、1949年中国国民党政府との内戦に勝利した中国共産党―現在の中国によって侵略されました。 またチベットも1951年に中国の武力侵攻を受け消滅してしまいます。
 問題は国が消えて無くなっても、そこに生きる人々が一人残らず消えてなくなるわけではないということです。 この2つの地域に住む人々は、50年以上―半世紀という長い時間が経過した今現在も、中国支配の下で地獄の苦しみを味わっているのですが、その事実を日本のマスコミは伝えようとはしません。
 これは 「日中記者交換協定」 の影響があるのでしょうが、中国から聞こえてくるニュースは日本との歴史認識問題を別にすれば、経済や北京オリンピックといった景気の良い話ばかりです。 耳慣れない 「東トルキスタン」 と違い、ニュースやクイズなど教養系番組でよく耳にするチベットについていえば、チベット仏教やその寺院、少数民族にカテゴライズされたチベット人たち独特の文化や風習が牧歌的に紹介されるがゆえに、一見平和的な治世が中国の手によってもたらされているとテレビを見ている視聴者たちは錯覚しがちです。


チベット仏教への弾圧

 チベットはいまだ多くの地域で外国人の立ち入りが禁止されており、チベット仏教やその風習はテーマパーク―観光という外貨獲得の手段として残されているにすぎません。 ハリウッドスター、ブラッド・ピッド主演の映画 「セブン・イヤーズ・イン・チベット」 のラストで、チベットを侵略した中国軍の指揮官がチベット僧が描く砂の曼荼羅を踏みつけ 「宗教は毒だ!」 と吐き捨てるシーンがあります。 宗教を侮蔑する共産主義国家の実態を一言で表した名場面です。
 そんな中国の軍政下でかつて約4千5百もあったチベットの寺院の99%が破壊されました。 中国の発表によると寺院の現存数はわずかに45。 59万人はいたとされるチベット僧は現在その人数が制限され3千3百人を残すのみです。 11万人以上の僧侶たちがその信仰を捨てなかったために逮捕され、酷い拷問を受けたあげくに自殺、もしくは殺されました。 刑務所に収監された者は日常的に看守からの暴行を受け、ある僧は目に釘を打たれ、またある僧は生きたまま解剖されたといいます。
 チベットにおけるチベット仏教への信仰はとても厚く、その僧侶は民衆からとても尊敬された存在です。 また17世紀以来、チベットの最高指導者として民衆に支持された人物は 「転生活仏」 として知られるダライ・ラマただ一人だけでした。 チベット仏教の頂点に立つ法王が治める宗教国家がチベットなのです。
 ゆえにチベットを 「不可分の中国領土」 と自認する中国共産党にとって、チベット仏教は侮蔑の対象以上に厄介、それでいて危険な存在と見なされました。 反乱や独立運動の象徴として、民衆がその信仰心の下に結束するのではないかと恐れたのです。
 チベット人たちの心の拠りどころである信仰心を無くすため、また僧侶の権威を貶めるために、衆人環視の中で小便を飲ませるなどの嫌がらせが頻繁に行われ、女性の僧侶―尼僧は中国の男たちによって陵辱されました。 僧籍にある者に限らずチベット人に対する人道的配慮や人権などは初めから無く、反抗する者や不満を口にする者には容赦ない弾圧がくわえられました。
 1949年から1979年の30年間だけでも、処刑されたチベット人の数は最低でも15万人。 拷問による犠牲者はさらに多い17万人を越えるといいます。 チベット亡命政府の発表によると、1949年以前には約600万人を数えたチベットの全人口、その5分の1に当たる120万人以上の人々がこの時期に亡くなっています。 亡くなった理由には傷害致死( 9万人 )。 餓死者( 34万人 )。 蜂起した市民の戦死者( 43万人 )なども含まれますが、いずれも中国の圧政が引き起こした人災なのです。
 1959年にチベットから脱出した法王ダライ・ラマはあくまで中国との対話を望み、 「チベット人民の基本的人権と、その独特の文化的ならびに宗数的生活を、尊敬することを要求する」 活動を行ってきました。 国際連合でもその決議が3度なされ、ヨーロッパ各国やアメリカでもチベット人の人権を中国が尊重するよう、たびたび決議がなされていますが中国は応じません。
 チベット人は今なお厳しい監視下に置かれ、ダライ・ラマを容認する発言や中国への批判を行った者への強制労働や拷問が行われています。 酷い拷問にも耐え、生きて収容所を出た人たちが、現在のチベットの内情や実態を国際社会に訴えることがあるのですが日本のメディアの反応は冷たいものです。
 ただノーベル平和賞( 1989年度 )受賞者でもあるダライ・ラマには国際的な影響力があるせいか、法王が訪日された場合などには、例外的に、その活動の目的や背景がメディアで説明されることがあるのみです。


850万人の中絶


 では、東トルキスタンの現状はどうなっているのでしょうか。 最初の方で 「耳慣れない」 と申しましたが、現在、新疆しんきょう( 中国語で 「新しい征服地」 の意 )と名を変えた東トルキスタンに対し、日本人が抱くイメージは砂漠と遊牧の民、悠久の歴史といったシルクロードのそれでしかありません。
 しかし、東トルキスタンにおける民族弾圧と人権蹂躙もまた、その過酷さにおいてチベットに劣らず。 ウイグル人を含むトルキスタン( テュルク諸語を共通語とする民族の総称 )たちの生活、習慣、イスラムヘの信仰など、そのすべてが中国人の厳しい監視下に置かれているのです。
 冤罪や見せしめによる逮捕、拷問はこの地でも横行し、処刑されたトルキスタンは50万人。 中国による圧政の犠牲者総数は現在1千万人に達するといわれ、そのうちの75万人が放射能の影響で亡くなりました。 東トルキスタンでは過去50回にもおよぶ核実験が行われ、水源の汚染や放射性物質の飛散による被爆で多くのトルキスタン人が苦しんだのです。
 また1989年から始まった 「計画生育政策」 ―日本でいう一人っ子政策の結果、850万人もの赤ん坊が中絶させられました。 中絶に抵抗する妊婦には赤ん坊とともに殺害された者もいるといいます。 トルキスタンの女性は婚姻前から避妊リングの装着が義務づけられ、それでも避妊に失敗すると強制的に赤ん坊が殺されるという屈辱以上の地獄を見せられるのです。
 中国は現在13億を越える人口を抱えているため、計画生育政策という悪政も仕方がないのでは? そう思われる方もおられるでしょうが、トルキスタンを構成する各民族の人口はもともと多くはありませんでした。 その8割程度を占めるウイグル人さえも約1千8百万人( 1990年 )ほどしかいなかったのです。
 一応、建前として中国は少数民族の保護をうたっているため、チベット人やトルキスタンが持てる子供の数を2人までと規定していますが、子供一人を産むのさえ厳しい条件が課せられる現状では現実的とはいえません。 そもそも中国による侵略がなければ、彼らがこのようなルールに従う理由も必要性もなかったはずなのです。
 2006年のノーベル平和賞候補にレビヤ・カディールという女性がノミネートされました。 彼女は東トルキスタン( 現在の新疆ウイグル自治区 )の出身者で、中国からはテロリストの指名を受けています。
「ウイグル民族の問題が平和的に解決することを希望する」 とコメントする彼女に対し、中国は 「東トルキスタン独立運動を行っているテロリストであり、中国の平和と安定を脅かしている」 と彼女のノーベル平和賞推薦を批判しているのです。 これが、かえって中国という国の実態について世界が注目するきっかけとなると良いのですが。


実質的には植民地

 現在両地域における中国人の人口は、チベット人やウイグル人のそれを上回り、彼らは本当の意味で少数民族にされてしまいました。 これは中国による人口抑制政策と、同地への中国人の移住が推奨されたため、大量の中国人がチベットおよび東トルキスタンヘ入植したからです。 チベット( チベット自治区 )も東トルキスタン( 新疆ウイグル自治区 )も建前では自治区ですが、決定権を有する重要なポストは中国人で占められています。 彼ら少数民族の声が政策に反映されることはありえません。 広大な大地を中国人に奪われ、遊牧を主体に生きてきた多くの者がその生活を変えざるをえませんでした。
 奪われた大地は畑になりましたが、その収穫のすべてが中国へ送られ、彼らの口に入ることはありませんでした。 豊かだったチベットの森林は荒地へと変わり果て、伐採された木々は540億ドル相当の材木として中国の財産となりました。 東トルキスタンに埋まる鉱物や石油などの地下資源も中国人には豊かな生活を与えてくれますが、タダ同然の労働力としてコキ使われる彼らの心が満たされることはありませんでした。 現代における植民地。 中国人は彼らの宗教、文化、民族の誇り、そして命をも踏みにじっているのです。
 テレビで見るシルクロードの映像は美しく感動すら覚えますが、しょせんは見栄えの良いところを四角く切り取っただけの創られた世界のお話です。 そのフレームの外側にある暗い現実を伝えられない以上、日本のマスコミに期待できることはこれからもないでしょう。
 もし興味を持たれ、チベットや東トルキスタンヘのご旅行を考えている方はお気をつけください。 あなたの言動やその振る舞いは、現地の人を装った中国当局の人間に監視される可能性があります。 あなたのためにも、中国入国のおりにはこの文章を持ち込みにならないよう厚くお願い申し上げます。



チベット殺された

 10月初め、衝撃的なニュースが世界を駆け巡った。 無抵抗の少年と尼僧が中国の国境警衛兵に射殺される瞬間の映像だ。
 日本では一部のマスコミしかこの事実を伝えていない。 アムネスティ・インターナショナルが確認している事件の経過は以下の通りである。
 9月30日、登山家たちの国際チームはヒマラヤで中国国境警備隊がネパールに逃れる途上のチベット人グループを狙撃する様子を目撃した。 グループの中には子どもたちの姿も確認されている。 尼僧のケルサン・ナムツォを含む少なくとも2名が殺害されたとみられる。
 6歳から10歳までの年頃の子どもたち9名と成年男性1名が中国当局によって拘束され、約20名が行方不明。 アムネスティ・インターナショナルは拘束された人々と行方不明の人々の、身の安全を懸念している。
 ベース・キャンプにいた登山家たちは、狙撃が中国から逃れる人々がエスケープ・ルートとしてよく使う氷河で覆われたナンバラ峠で、彼らから300ヤード離れた場所で行われたと述べている。
 中国側の警備隊は約70名のチベット人グループに2回威嚇射撃を行ったと報告されている。 グループは散り散りになり、次に警備隊はちょうどそのとき氷河を横切っていた20名の人々に照準を合わせた。 1名が倒れ、起き上がってからまた倒れる姿を登山家たちは目撃している。
 そして銃撃が起きてから約36時間後、警備隊が死体を回収した。 グループのメンバー43名は何とかネパールに逃れた。


無抵抗の少年と尼僧が 中国の国境警衛兵に射殺される瞬間 の映像( 保存版 )



朝日は新華社べースの記事

 この事件を新華社通信は以下のように伝えている。
9月30日早朝、約70人の人々がチベット自治区の中国・ネパール国境を違法に越えようとし、そのうちの1人が国境警備隊との争いの中で死亡した。
当局によると、不法に出国を試みるチベット人たちを発見し、家に戻るよう説得を試みたが、密出国者たちはそれを拒否して兵士を攻撃した。
国境警衛兵は自衛をせざるを得ず、2人の密出国者を負傷させた。
事件は大掛かりな密出国事件
 事件が外国登山隊のベースキャンプの目の前で起き、その模様が撮影されて、その後世界に公開されたため、難民たちを、密航者呼ばわりしていた新華社の英文翻訳記事バージョンには激しい非難が集中し、早々にウェブサイトから削除された。
 今回の事件を報道した数少ない日本のメディアのうち、朝日新聞はなぜか新華社ベースの記事を配信している。 しかもなぜかたった200字程度の短い記事だった。
 あまり知られていないが、日中間には日中記者交換協定というものがある。
 「日本側は記者を北京に派遣するにあたって、中国の意に反する報道を行わないことを約束し、当時北京に常駐記者をおいていた朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHKなどや、今後北京に常駐を希望する報道各社にもこの文書を承認することが要求された」
 マスコミ各社の中国に対する報道姿勢にはこうした縛りが影を落としている。  しかし正確で偏らない報道を旗印にするジャーナリズムにとって、これは自殺行為ではないだろうか?


チベット圧迫は 「解放」

 チベット問題は1949年10月1日の中華人民共和国の成立までさかのぼる。 国共内戦に勝利した中国共産党は中華人民共和国を成立させ、その後まもなく、北京放送は次のような放送を開始した。
 「人民解放軍は、中国全土を解放せねばならない。 チベット、新彊しんきょう、海南島、台湾も例外ではない」
 現在も時々耳にする台湾海峡の緊張関係も中国がそのとき掲げた目標を放棄していないことを表している。
 人民解放軍はチベットの 「解放」 を掲げ、1950年に東チベットのチャムドを制圧した。 以下年代をおってみていく。
1951年5月23日には、軍事的威嚇の下に、北京で、 「チベットの平和的解放のための措置に関する17ヵ条協定」 への署名を強要する。
1951年10月、中国人民解放軍ラサ到着。 中国は軍隊用の駐屯用地と兵士のための莫大な食糧を支給するよう、チベット政府に強要したが、これが引き金となって安定していたチベット経済は崩壊した。
1955年3月 北京政府はチベット政府に代わる 「西蔵自治区準備委員会」 の設立を提案
1956年4月 「西蔵自治区準備委員会」 が公式に発足
1959年3月10日 ラサでチベット民族蜂起勃発。 中国はチベット人8万7千人を殺害して蜂起を鎮圧、当時の指導者ダライ・ラマ十四世は8万人のチベット人とともにインドに亡命( 亡命政府 )
中国の周恩来首相は、チベット政府の解散を宣言し、これに対して、1959年4月29日、ダライ・ラマ十四世はインド北部の丘陵地ムスーリーに中央チベット行政府CTA( Centra1 Tibetan Administration )を新たに樹立した。 さらに1960年5月、インド北西部ヒマチャル・プラデシ州ダラムサラに拠点を移し現在に至っている。
 チベットはウ・ツァン、カム、アムド地方を含む250万平方キロメートルからなっていた。
 現在の 「チベット自治区」 は、ウ・ツァン地方とカム地方の一部から成り、面積は120万平方キロメートルとかつての半分以下しかない。
 「チベット自治区」 以外のチベットは以下の地域に分割されている。
青海省
天祝チベット自治県・甘南チベット族自治州( 甘粛省 )
阿バチベット族羌族自治州・甘孜チベット族自治州・木里チベット族自治県( 四川省 )
迪慶チベット族自治州( 雲南省 )
 チベット亡命政府の発表によれば、文化大革命を含む1949~1979年の間に6千ヵ所以上もの仏教寺院が破壊され、約120万のチベット人が命を奪われた。 それはチベットの全人口600万のうち、5分の1に相当する。
 さらに、現在のチベットでは、宗数的指導者でもあるダライ・ラマの写真を所持したり、礼拝することは固く禁じられ、主な寺院は公安警察の監視下にある。
 表現そして結社の自由は厳しく制限され、その結果、大勢の人々が基本的人権を平和的に行使しただけで投獄されている。 中国の他の地域と同様に恣意的拘禁、不公正な裁判、拷問や虐待が普通に行われている。
 「チベットでの中国の存在と人権の侵害」 ( 1997 TCHRD( チベット人権・民主センター )発行 )では、次のような問題点が項目ごとに指摘されている。
 「宗教の自由、意見と表現の自由、政治犯、独断的逮捕と拘束、拷問、失踪、民族差別、女性の権利、子供の権利、人口移動、生存の権利、結論、勧告、産児制限と中絶・不妊手術の強制」


軍事利用の鉄道開通

 中国は2006年7月、中国が進める西部大開発の目玉的なプロジェクトのひとつである、青蔵鉄路( 青海チベット鉄道 )を開通させた。
 青海チベット鉄道は西寧-ラサ1956キロメートルで、さらにラサからチベット第二の都市シガツェまでの延長が決まっており、将来はヒマラヤを越えてインドまで延伸される壮大な計画である。
 この鉄道の運行によって、年間80万人の観光客がチベットを訪れるであろうと予想されている。
 しかし、この鉄道建設の目的は観光開発ばかりではない。 かつてインドと中国間の平和的な緩衝地帯だったチベットは、今では少なくとも30万の軍隊と、核ミサイル部隊の4分の1以上が駐屯する軍事的要衝になっている。
 チベットの複数の地域にはウラニウム鉱山があるし、アムドの北西部先端にあるツァイダム盆地は、その海抜の高さと隔離された地理的条件により、中国にとって最も有利な核兵器配置用地として知られている。
 また中国はチベットを、自国や他国の核廃棄物の投棄場として使用しているとも言われている。 中国核燃料総公司が、西側の核廃棄物施設に対して1キログラムあたり1500米ドルで施設を提供しているとの情報もある。


チベット人より多い中国人

 施設周辺では環境破壊が起き、中国人の地域住民には水の使用に関し、公式に警告が発せられたが、チベット人住民には一切伝えられなかったため、チベット住民の間で健康被害が広がっている。
 青海チベット鉄道は 「チベットの全民族、宗教、そして遺産の絶滅」 計画の仕上げの始まりとも言える。
 現在のチベットには中国人750万人が住み、チベット人が自らの地で少数派になっている。
 人口の急速な膨張は、もともとキャパシティのないチベットの自然環境の破壊を引き起こし、遊牧や農業を主体とするチベット人の生活は危機に瀕し、人々は飢えに苦しんでいる。
 現在、70パーセント以上のチベット人は貧困線( 最低限の所得水準 )以下の生活をしている。
 さらにチベット語の禁止、伝統的な行事や衣装の禁止など、チベット人のアイデンティティを喪失させる政策がとられている。 多くの国民から慕われているダライ・ラマ十四世の肖像は、僧院でも家庭の仏壇にも祀ることさえも許されていない。
「民族虐殺」 を意味する 「ジェノサイド」 という言葉がある。 これは、必ずしも肉体的な抹殺のみならず、宗教や文化、総じて民族的なアイデンティティの抹殺を意味する言葉でもある。
 今、チベットで行われていることはまさにジェノサイドであり、民族浄化である。


わが子を涙ながらに

 これらが先日のチベット難民射殺事件の背景である。
 中国の過酷な支配を嫌い、毎年2千から3千名のチベット人が雪のヒマラヤをネパール経由でインドに逃れている。 先日の事件のように中国兵に射殺されたり、ヒマラヤの山中でひっそりと凍死していく亡命者が後を絶たない。
 命がけでたどり着いた彼らも時として、中国の要求に応じて、国連の難民条約を無視したネパール当局によって強制送還されたり、兵士に金品を巻き上げられたり、性的虐待を受けたりする場合がある。
 難民の送還は違法である。 各国はノン・ルフールマンの原則を守る義務があり、この原則は生命や自由が侵害されたり拷問を受けたりする恐れのある国に人を送還することを禁じている。 これは国際的慣習法の基本原則である。
 これら亡命者のうち約3分の1がチベット式教育を求める子どもたちで、インド国内にあるチベット人学校に送られる。 チベットではまともな教育を受けさせることは出来ないから、親たちは愛するわが子を、身を切るような思いをしてインドに送り出している。
 彼らのうち何パーセントかは教育を受けた後、再び身の危険を冒してチベットに帰っていく。 他におおぜいの僧侶が修行のためインドに向かう。
 中国の占領支配下にあるチベット本土では、宗教活動が著しく制約されており、仏教を本格的に学んだり修行できる環境ではない。 そのため、現在でも毎年1千人以上の規模で、僧侶や尼僧、出家を目指す若者たちがインドの亡命チベット人社会へ殺到している。
 現在、難民の数は、亡命中に生まれた者を含めて、約13万4千人( 2002年12月現在 )。 インド:10万人、ネパール:2万人、ブータン:1千5百人、ヨーロッパ各国で3千7百人、オーストラリアとニュージーランド:2百人、アメリカ合衆国:5千5百人、カナダ:1千5百人、台湾:6百人、ロシア:30人、モンゴル:10人、日本:60人となっている。


胡錦濤とチベット

 余談だが、現在の中国の国家主席である胡錦濤は若き共産党テクノクラート( 専門官僚 )として頭角を表し、42歳で共産党中央委員会の常任委員になった。
 1989年から92年までチベット自治区の書記( ナンバーワンの地位 )を務め、1989年1月パンチェン・ラマ十世の謎の死、このあとラサで起きた大規模な暴動を戒厳令で押さえ込んだ手腕が、彼の評価をさらに高めたと考えられている。
 彼の在任中に次のような事件がチベットで起きている。
1988年9月、中国は、亡命政府に 「チベットの独立の件は出さない」 ことを条件として対談要請に応ずる姿勢を見せる。
1988年11月、胡錦濤が中国共産党チベット自治区党委員会書記に就任。
1989年1月、パンチェン・ラマ十世急死( 死の直前に中国政府を糾弾する演説をしていた )。 中国は亡命政府との会談の約束を反古にする。
1989年3月、ラサで大規模なデモ、戒厳令を宣言し鎮圧。 軍服を身にまとい陣頭指揮にあたる胡錦濤の写真を新華社が全土に配信している。
1989年6月、天安門事件発生。
1990年4月、チベットヘの戒厳令を解除。
1990年10月、チベット軍区中国共産党委員会の第一書記の兼任を任命された。
 ダライ・ラマは自由なチベットを求める闘いの中心人物となっている。 中国がチベットを占領している間に法王が死亡すれば、自由なチベットを求める闘いは、三つの主な理由によって必ず弱まるだろう。
 第一に、新しい転生者が探索される間、ダライ・ラマ不在の空白期間ができる。 これは、権威の喪失とチベット人の指導者不在を意味する。
 第二に、いったん新しい転生者が布告されれば、ダライ・ラマが完全に責任を果たすことができるようになるまでに数年の期間を要する。 この間に中国は彼らの対抗者たちを解き放ち、自由を求めるチベット人の闘いを抑圧する一層大きな機会を彼らに提供するだろう。
 最後に、最も憂うべきことは、中国がその前に傀儡のパンチェン・ラマを即位させておけば、この事実を利用して、傀儡にできそうな自分たちのダライ・ラマを選定することができる( ダライ・ラマとパンチェン・ラマはそれぞれ相互に相手の後継を承認する )。 この恐ろしいシナリオ通りに事態が進めば、自由なチベットを求める闘いはさらに苦しいものとなる。 中国政府が現在進めようとしているのは、この長期にわたる政治ゲーームであることは疑いようもない。


五輪までに人権状況を改善

 ダライ・ラマは非暴力を唱え、チベット抵抗運動を導いている。 亡命チベット人の中にはこれとは別の動きもあることは事実だが、彼らの運動が大きな力にならないのは、やはりダライ・ラマの存在が大きい。
 しかし 「非暴力的手段」 は地味でメディアの目に留まることはあまりない。 中国側の暴力は中国に配慮するメディアや政治経済界の意向もあって封殺されている。 チベット問題が大きな問題として扱われない構図はここにある。 問題の解決は国際社会の圧力や中国の民主化の動きとも絡んでいる。 チベット問題はまさに 「この長期にわたる政治ゲーム」 のなかにある。
 さて、アムネスティ初め、ICT( International Campaign for Tibet )は今年から北京オリッピックに向けて、オリンピックまでに人権状況の改善を求める世界キャンペーンを開始する。
 2008年のオリンピック開催までに人権状況を改善するということは国際オリンピック委員会との約束事である。
 ジャック・ロゲIOC委員長は2002年4月、BBCの 「ハードトーク」 という番組で、中国の人権状況の改善が満足のいくものでなければ行動を起こすと約束した。


ダライ・ラマ法王日本代表部事務所HP
http://www.tibethouse.jp
アムネスティ・インターナショナル日本HP
http://www.amnesty.or.jp
アムネスティ日本・チベットチームHP
http://www.geocities.jp/aijptibet/index.html